■簡易データ
首都 マラボ 3万人
面積 2.8万平方キロメートル(日本の約1/14)
人口 41万人(日本の約1/300)
人口密度 15人/平方キロ(96年)(日本の約1/23)
都市人口率 37.0%(91年)
産業人口率 1次57.9% 2次3.5% 3次13.5%(83年)
国民総生産 2.2億ドル(日本の約1/23000)
一人当たりの国民総生産 530ドル(96年)(日本の約1/80)
言語 スペイン語、フランス語(以上公用語)、ファン語、ブビ語
民族 ファン族85%、コンベ族、バレンゲ族、ブジェバ族、ブビ族、イボ族
宗教 カトリック80%、伝統宗教
通貨 CFAフラン
識字率 78.5%(男89.6%・女68.1%)
エネルギー消費量(石油換算) 4.2万トン(日本の約1/10000)
一人当りのエネルギー消費量 105キログラム(日本の約1/34)
以上大凡95年統計
■地理と気候
アフリカ大陸中西部、大陸側のリオ・ムニ及びギニア湾上のビオコ島とアンノボン島からなる小国。
高温多湿の熱帯性気候で、12〜2月の雨期と乾季に分かれる。
カカオやコーヒー等の農業と林業、漁業が盛ん。また近海に海底油田もある。
■略史
推定、原住民が共同体社会を形成。
15C、ポルトガル人がビオコ島を発見、アンノボン島と共にポルトガル領となる。
その後1778年、スペインに割譲、1827〜43年、一時英国領となるが、スペインに復帰し、43年から1959年までリオ・ムニと共にスペイン領ギニアとして統治される。
59年、スペインは赤道ギニア住民に市民権を賦与、61年、自治政府が誕生する。
その後、さらに民族運動は高まり、68年10月、ようやく独立を認められ、フランシスコ・マシアス・ンゲマが初代大統領に就任。
70年より全政党を糾合して国民同盟党の一党支配体制を強化、72年、自ら終身大統領を宣言し、恐怖独裁政治、鎖国体制を展開。
全人口の1/3が国外に逃亡する事態に陥る。
79年8月、テオドロ・オビアン・ヌゲマ・ムバソゴ中佐が軍事クーデターを起こし、マシアス大統領を処刑。
82年、新憲法が国民投票で可決され、ヌゲマが大統領に就任。
翌年には国民議会選挙を実施する等の民政化に動いたが、81、83、85、86年と相次いでクーデター未遂事件が起こったため、民主化路線は停止。
87年、一党独裁の赤道ギニア民主党が創設されたが、他政党活動は禁止。
92年、野党合法化、96年、複数政党制による大統領選挙が行われたが、野党側はボイコットし、ヌゲマ大統領が4選。
内外からヌゲマ大統領の人権抑圧が非難され、国内外で反政府活動が活発。
対外的にはフランスを主軸に、関係強化を目指している。
石油生産からあげる利益はあまり国民全体に行き届いていない。
■大使館
日本国内に大使館及び領事館なし。
■日本公館
ガボン大使館が兼轄
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