当店と宮沢賢治の関係について、地元の情報誌や新聞に掲載されています。

地元の情報誌『SASARA』に載りました。
賢治が歩いた胆江(胆沢郡・水沢・江刺)地区という特集記事です。
少し拡大。
賢治は晩年、石灰工場の技師として石灰(土壌改良肥料)のセールスをしていました。
その時に当店に何度か来店して、名刺と領収書を残しています。
(写真は店舗改装前の当店です。)
これがうちに残っている宮沢賢治の名刺と、直筆の領収書です。
領収書の中央に、
『金八拾四円也』・『(昭和)六年四月六日』
『東北砕石工場 宮沢賢治』とあります。
賢治35歳、僕のおじいさん喜一27歳の時です。
これはこの名刺と領収書が発見された時の古い新聞記事です。

僕が小学生の頃です。
平成8年、宮沢賢治生誕100年を記念して、記念碑を建てる事が決まった時の新聞記事です。

記念碑は僕のおじいさんと賢治が土壌視察に訪れた当時の土地、(現在は小学校)に建っています。